SEMICON SHINBUN / TECHNICAL NOTE
量子コンピュータはなぜ配線で困るのか――極低温制御と超伝導トランジスタの役割
量子ビットの数を増やすと、制御線・熱流入・信号処理はどう変わるか。室温、4K、ミリケルビンの役割を分け、S-Transistorsの構想を独立した研究例と照らして読む。
セミコン芯聞 編集部 / 公開資料に基づく技術解説
更新: 企業発表中心の短報を改稿し、独立した公開研究を追加した。温度段・制御機能・製品予定と実証の区別を明確にした。
量子ビットを増やすと、計算を担う素子だけでなく、それを操作して結果を取り出す装置も増える。室温から細い線を伸ばせば済むように見えるが、線は信号と同時に熱も運ぶ。そこで制御回路を低温側へ近づける研究が進む。ただし『冷凍機の中へ移す』ことと『量子ビットのすぐ隣へ置く』ことは同じではない。本稿は、配線、温度段、制御機能を分けて、技術発表のどこを読むべきかを整理する。
量子ビットと、古典的な制御回路を分ける
超伝導方式の量子プロセッサを動かすには、量子状態を操作する信号を送り、戻ってくる弱い信号を増幅して読み出す必要がある。量子計算の結果を使う側は通常の電子回路であり、量子ビットが増えても古典回路が不要になるわけではない。制御信号の生成、経路の選択、増幅、デジタル処理という仕事が周囲に残る。
このため量子ビットの数だけを見ても、装置の規模は判断できない。一つの量子ビットに何本の線を割り当てるのか、複数の信号を共有できるのか、どこで増幅するのかが必要になる。量子ビット自体の新構造と、それを支える制御用トランジスタは、役割を分けて読むべき技術である。
配線の負担には、熱と空間と信号がある
温度差のある場所を金属線でつなぐと、熱が伝わる。冷たい側で取り除ける熱には限りがあるため、配線を増やすほど熱の予算も使う。NISTの公開解説は、量子素子と室温回路を隔てる配線が、熱の流入と信号の伝送距離の両面で制約になることを説明している。
さらに線を通すコネクタや冷却段の固定場所、ケーブルの曲げ半径も必要になる。これは細い線へ置き換えるだけで解決する問題ではない。信号の損失、周波数帯域、反射、ほかの線との結合も同時に変わるためである。熱を減らす工夫と、必要な信号品質を維持する工夫は組として考える。
配線数を減らすときも、何を共有したかを確認する。時間を切り替えて一つの経路を使う方法と、異なる周波数の信号を同じ経路へ載せる方法では、同時に扱える情報や必要な回路が違う。本図は機能の配置を示す模式図であり、線の本数を実機の必要数としては示していない。
4Kへ置く回路と、ミリケルビンへ置く回路
冷凍機の内部は一つの温度ではない。量子プロセッサが置かれる非常に冷たい段と、それより温度の高い段では、使える冷却能力も、置ける回路も異なる。IBMの2023年の会議論文要旨は、4K段で動く多チャネル波形生成回路を、制御系の拡張に向けた選択肢として挙げている。
したがって『極低温CMOSを実証した』という発表を見ても、その温度段、機能、消費電力を確認する。4Kで可能な処理を、ミリケルビン段へそのまま移せるとは限らない。回路を量子プロセッサへ近づけるほど、短い配線という利益と、近くで発生する熱やノイズという制約が強く結びつく。
制御系をすべて一か所へ集める必要もない。IBMが2026年3月の学会発表要旨で示した例では、低温の磁束制御ASICと、室温の高周波制御・読み出し回路を組み合わせている。これは低温化と室温回路の併用が成り立つ具体例であり、すべての方式が同じ構成へ進むという予測ではない。
ここで室温側に残す処理にも意味がある。発生させる信号を決めるデジタル処理と、実際に冷たい素子へ届けるアナログ出力は、同じ場所に置かなくてもよい。処理の種類を分ければ、低温回路の電力を抑えながら、外側の計算資源を使う構成を考えられる。『全部を冷やす』か『全部を外へ置く』かの二択にしない方が、公開された構成図の意図を読みやすい。
超伝導トランジスタは、どの機能を移す構想か
VTT発のS-Transistorsは、2026年8月31日に260万ユーロのプレシード資金調達を発表した。目的には極低温の信号制御用試作と製造基盤の整備が含まれる。資金調達は開発を続ける材料だが、低温制御系全体の有効性や量産採用を示す証拠とは別である。
2026年10月19日に確認した同社サイトでは、最初の製品を2027年予定の超伝導トランジスタ・マルチプレクサとし、将来像に量子マザーボードを置いている。マルチプレクサは、複数の接続先から使う経路を選ぶ回路である。これは量子状態を計算する量子ビットそのものでも、必要な高周波信号をすべて生成する装置でもない。
同社の低消費電力や拡張性の表現は、同社による技術説明として扱う。VTTとそのスピンオフの発表は同じ開発系列であり、二つ並べても独立した実証が増えるわけではない。本稿では配線問題の一般的な背景をNISTとIBMの資料で確認し、S-Transistorsの製品性能について第三者確認が済んだとは記述しない。
別の手段と並べると、発表の読み方が変わる
経路を低温側で選ぶ工夫だけが解ではない。NISTは、光ファイバーで信号を運び、低温側で扱う光接続も研究している。金属配線を大量に引く構成とは、熱の運ばれ方と必要な変換回路が違う。低温CMOS、超伝導の経路切り替え、光接続は、単一の性能値で優劣を付ける対象ではなく、異なる場所の負担を変える手段である。
公開資料を比べるときは、対象の温度段、移した機能、同時に扱えるチャネル、追加される熱、信号帯域の順に表へ書く。配線が減ったという一文だけで、システム全体が省電力化したとは決めない。機能の一部を冷たい側へ移したことで、別の回路や配線が必要になる場合もあるからだ。
半導体技術として注目したいのは、量子という用途名より、回路の機能をどこへ配置するかという設計である。トランジスタ、配線、パッケージ、冷却を結び付けて初めて、新素子が解こうとしている範囲と、まだ残る範囲を読み分けられる。
マルチプレクサの経路数が多いことと、すべての経路を同時に使えることも別である。たとえば複数の接続先を順に選べる装置は、配線口の制約を緩め得るが、選んでいない接続先へ同時に信号を送る能力まで意味しない。実機の性能を読むときは、接続先の数と並列処理できる数を分ける。これは特定製品の制約を指摘するのではなく、仕様表を比較するための一般的な注意である。
機能の場所を先に決めてから、素子の新しさを読む順序にしたい。
参照した公開資料
本文は以下の公開資料を出発点に、編集部が技術的な背景を整理したものです。
- NIST「Measuring Up: Coming Out from the Cold」2022年2月24日(研究機関の公開解説)(2026年10月19日確認)
- IBM Research「Cryogenic CMOS: design considerations for future quantum computing systems」CICC 2023(会議論文の公式要旨)(2026年10月19日確認)
- IBM Research「A Cryo-CMOS Control System … Part 1」2026年3月16日(学会発表要旨。論文全文とは区別)(2026年10月19日確認)
- VTT「S-Transistors raises €2.6 million pre-seed round」2026年8月31日(当事者の発表)(2026年10月19日確認)
- S-Transistors 公式サイト(製品予定と開発構想。メーカーの自己説明)(2026年10月19日確認)
- NIST「Cryogenic Photonic Interconnects」2025年4月10日更新(研究プロジェクト解説)(2026年10月19日確認)
本記事は記事末尾に掲げた公開資料のみを参照しています。特定企業・顧客の非公開情報は使用していません。